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  第1章


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Eric Mellema
www.nostredame.info

英日翻訳 ラリス 資子





6章

 

 

 

 

強大なるドイツの一隊長 
いつわりの救いの手をさしのべるだろう 
王のなかの王 ハンガリーを助ける 
彼の戦争は未曾有の流血をもたらすだろう 
(山根和郎 訳)

 

 

 ささやかな結婚式を終えると、アンヌはイストルからサロン・ド・プロヴァンスのミシェルの家へ移り住んだ。ミシェルの家は一時の栄華はすでに過去のものとなり、雨漏りすらしている。アンヌは、延び延びになっている家の修繕を手掛けることにした。アンヌの愛馬サレは親切な隣人の厩に収まった。ミシェルの家に引っ越したその日、アンヌな自分の持ち物を片付けると、いきなりみだらな様子でミシェルの上に飛び乗った。 
「おいおい、気をつけてくれ。ばくは繊細な学者で肉屋の少年じゃないよ」ミシェルが言ったが、その間にもアンヌは脚でミシェルを挟み込んだ。 
「あら、亡くなった主人はぜんぜん気にしなかったわ」アンヌは驚いて答えた。 
「ぼくはきみの亡くなったご主人じゃない。こっちにおいで」二人は互いの服を脱がせた。次第にアンヌとミシェルはお互いになじんでいった。ある日、アンヌは初めての妊娠をミシェルに告げた。二人の生活が軌道にのり始めた。数カ月後、ミシェルが作った化粧品をアンヌが売ろうとしている時にポールが生まれた。母親となったアンヌは女性として開花し、それは傍目からも明らかだった。アンヌの物腰はずいぶんと女らしくなった。七年間の苦難の末、ミシェルにようやく幸せが巡ってきたのである。金星が訪れる年ごとにはさらなる子を授かりミシェルは祝福されるであろう。

 

 三人目の子供が生まれて間もないある日、ミシェルは裏庭に面したベランダに座り春の気配を楽しんでいた。いたるところで蕾がほころび甘い香りをただよわせ、木々には鳥が集い歌をさえずっていた。蜂の羽音もにぎやかな隣の庭から近所の女の子が現れ、ミシェルの前を通りかかかった。バスケットを手にしているから、森に薪を拾いに行く途中だろう。 
「こんにちは、お嬢ちゃん」ミシェルは声をかけた。女の子はミシェルのことをよく知っていたので、礼儀正しく挨拶を返した。 
 アンヌは、屋根裏をミシェルの書斎に改築しようと、数人の職人と共に屋根裏で働いていた。ようやくアンヌは、ミシェルに本当に大切なことのみに専念するよう納得させたのだった。ミシェルにとって大切なこと、それは予言を占星術と結び付けることであった。アンヌは、自分の財産を持ってすれば財政上の心配はないと言い張り、ついにミシェルは金儲けのために患者の診療をすることを止めた。 
 ミシェルは超自然学の本の上に身をかがめていた。その背に陽の光が心地よくふりそそいだ。ミシェルは翌年に起こるであろう出来事の予言に取り組んでいた。突然、額に豆が当り、目の前に開かれていた本の上にピシャと音をたてて落ちた。 
「わかったよ、もうやめんか、ポール」ミシェルは自作のパチンコで遊んでいる息子のポールをしかった。 
 満ち足りた結婚生活と同様に、ミシェルの創造的な仕事もまた実を結びつつあった。最近、市役所からアンペリ城の噴水のラテン語の碑文を依頼されていたし、美容法と料理の本「化粧品とジャム論」もリヨンのボラン出版からようやく出版された。その朝は、初めて手がける暦の作成に余念がなかった。この暦には、ヨーロッパの各地の出来事を予言し、十二の四行詩として掲載するつもりだった。午後にはミシェルの弟アントワーヌが雑談をしに来ることになっていた。あの悲惨な洪水を生き延びたアントワーヌは、今は、サロン・ド・プロヴァンスに近い生まれ故郷のサンレミで収税吏として働いていた。 
「ミシェル!」屋根裏の窓からアンヌが呼んだ。「ちょっと見に来てくださいな」 
 ミシェルは急いで家の中に入っていったが、居間では子供たちにつまずかないように気を配らなければならなかった。セザールは兄と姉に首を床に抑えつけられ、さらに兄と姉はこれでもかというほどセザールをくすぐっていた。ミシェルは障害物を避けながら屋根裏へ上がり、特注の戸棚を見た。戸棚の中には、緑、赤、黄色そして青の瓶が並べられ安全に保管されていた。ミシェルが新鮮な空気を吸えるように拡げられた窓の前には、新しい贅沢な机が置かれていた。幾何学用の道具を入れる特別な収納箱も買ってあった。昔ながらの鎧戸の下には、マルセーユから持ち込まれたガラス窓がはめ込まれていた。

「ちょっと見た限りでは何も文句を言うことはないな。計量カップもみんな無事だったし」ミシェルはうれしそうに言いながら、仕事の仕上がりを念いりに点検しだした。 
「いや、少し言いたいことがある」しばらくしてミシェルはアンヌに言った。そして、どう直してほしいかを大工に詳しく説明した。 
 その時、教会の鐘が正午を告げ、アントワーヌの声が聞こえた。アントワーヌはきっちり昼食の時間にやってきたのだ。洪水の後、ミシェルとアントワーヌは頻繁に会うようになっていた。アンヌは階下にかけおり、女中が食事を出せるようにベランダにテーブルを用意した。 
「アントワーヌ、座ってくれ」ミシェルは椅子もう一脚を運びながら言った。アントワーヌは、マドレーヌとセザールの間に割り込んで座った。アンヌがポークソセージを取り分けた。 
「これはコーシャーじゃないね」アントワーヌが言った。 
「ぼくだって違う」ミシェルが言った。 
「ポール、食事よ」アンヌが呼んだ。これで三回目だ。ポールは木に登り、侵入者アントワーヌをにらみつけていて、下りてくるのを嫌がっていたのだ。ポールは食事中もアントワーヌから眼を離さなかった。ソーセージと野菜の食事を味わいながら、ミシェルとアントワーヌは世間話に花を咲かせた。 
「ベルトランはどうしている?」ミシェルはたずねた。 
「元気だ。小さな建築屋を始めたよ」 
「そりゃあ結構なことだ。アンヌが屋根裏の改築を済ませてしまって残念だ。ベルトランに頼めたのになあ」 
 アントワーヌはかろうじて笑いをこらえている。 
「女が大工仕事をするなんて!」アントワーヌがミシェルにささやいた。 
「聞こえたわよ」まずいことにアンヌが言った。「今、殴られたい? それとも後にする?」 
「ごめんよ、アンヌ、悪気はなかったんだ」 
「ぼくたちは、互いに足りないところ補っているんだよ」ミシェルが白状した。「アンヌが男役で、ぼくが女役だ」 
「兄さんたちはまれにみる夫婦だよ」アントワーヌは少しまごついてつぶやいた。 
「ミシェルは自分のことを言っているだけよ。わたしは、自分のことを女らしいと思っているわ。百パーセントね」 
「マドレーヌ、食べものをわしづかみにするのはやめなさい」突然、アンヌが叫んだ。アンヌがお世辞にも上品とは言えない態度でマドレーヌを叱ると、ミシェルは笑いがこらえられなかった。 
「アントワーヌ、お前の言うとおりだ。アンヌにけんかを売るもんじゃない。アンヌには、ちょっとばかり磨きをかけないといけないようだ」 
「ちょっと待ってよ、いつまでも若造なんだから」アンヌは言い返した。「わたしがあなたをここまで引き立てきたのよ。いったいだれがだれに磨きをかけているのかしら?」怒ったアンヌは、そう言うと食卓を離れた。 
「兄さんはじゃじゃ馬ならしにてこずるだろう」アントワーヌが予言した。もうアントワーヌの帰る時間だった。アントワーヌを戸口まで見送ると、ミシェルはベランダの椅子に座り、書きかけの本を取り上げた。夕方になって、今朝の少女が薪でいっぱいになったバスケットをさげて、家に向かって歩いてきた。 
 おかしいな、ミシェルは思った。少女は今朝に比べて大人びて見える。 
「こんばんは、娘さん」ミシェルは声をかけた。少女はミシェルに手を振り、「娘さん」という言葉にクスクスと笑った。今朝は「お嬢ちゃん」と呼んだのに。肌寒くなってきたので、ミシェルは改装された書斎をもう一度調べてみることにして、家に入ろうとすると。そこでアンヌに出会った。アンヌは、ミシェルがお昼に言ったことにまだ腹をたてていた。いくら謝っても無駄だった。その日、鍋、釜が家の中を飛んだ――アンヌの手元から。 
 ある夜、ミシェルは新しい望遠鏡で流星群を見つけた。石や金属のかけらが、時折、大気中に突入し、その一部が燃えて流星となるということは、すでに天文学者の間では知られていたが、巷では知られていなかった。大昔に直径数キロメートルもの流星が地球に落ち、巨大クレータを作り地球の環境を根本的に変えたという話をミシェルは、読んだことがあった。ミシェルは、既成観念にとらわれず科学に興味を持っているという噂のプロヴァンスの総督にこのことについて手紙を書こうと思っていた。 
 総督は、著名な天文学者であるミシェルの手紙を読んでくれるだろう。知識は広く世に知らしめるべきである。その上、ミシェルには総督は自分の役に立ってくれるだろうという下心もあった。 
 案の定、総督は科学的知識に感謝を示す返事をくれた。さらに手紙には、最近リヨンで出版された翌一五五五年を予言した暦にも深く感銘を受けたとも付け加えてられていた。総督はミシェルの予言を上流階級の人々にも紹介し、ミシェルの暦はフランス中でひっぱりだこになった。成功への鍵をつかんだミシェルは、毎年、暦を出版することにした。さらに、ミシェルは、次の千年の間に人類にどんな未来が待ち受けているのかを予言するというもっと大きな仕事も考えていた。この仕事の成果は「予言集」という名にふさわしいものとなるであろう。 
 仕事が首尾よく進んでいることに満足し居間へ下りたミシェルは、テーブルの上に仁王立ちしているアンヌを見つけた。何事かと驚いたミシェルがあたりを見回すと、マドレーヌは戸棚の上にいて、ポールは天井からぶら下がり、セザールは床を這いずっていた。 
「なにをたくらんでいるんだ?」 
「違うわ。ゲームをしているのよ。あなたもゲームに入らない?」楽しそうに、アンヌはミシェルに呼びかけた。 
「なんのゲームだ?」 
「床に足をつけちゃいけないのよ」 
「わたしは、床に足がついていたほうがいい」 
「あなたは、いつもくそまじめなんだから」アンヌはため息をついた。ミシェルはなんとなく傷ついて、アンヌに背を向けて書斎に戻った。書斎にはいつでもするべきことがあった。たとえ、書斎を整理するだけであっても。少し感傷的になったミシェルは、ジャンおじいさんのことを思い出した。おじいさんは、ぼくのことを良く理解してくれた。そこへアンヌが入ってきた。 
「ミシェル、愛しているわ。わたしたち、けんかもしょっちゅうするけど、わたしの愛はけっして変わらないわ。でも、あなたが何を考えているか話してくれないかしら?」アンヌはそう言うと腰をおろした。 
「信じてもらえるかどうかわからないが」ミシェルはためらいがちに話し始めた。「ぼくには、成し遂げなければならぬ仕事がある。人類が我に返らず事実から目をそむけたならば、どんな惨事が起こるかを知らしめることがぼくの使命だ。それがぼくに重くのしかかっているのだ」

「どうしてわたしたちの間に溝があるのか分かるような気がするわ。でもそれはどうしようもないことね」アンヌは理解を示した。「実のところ、あなたの仕事がそんなに重要なこととは知らなかったわ。だから子供たちと遊ぶ余裕がないのね」 
「常に悲惨なイメージが浮かんでくるのだ」ミシェルは続けた。 
「なんて、怖いことかしら。でも、あなたにとって、その使命は家族より大切なの?」 
 もちろん、この言葉はミシェルの痛いところをついた。ミシェルは心苦しい思いでアンヌを見つめた。 
「たぶん。ぼくがこの使命を全うしたら、再び、神のみもとに召されることができるようになれると思うのだ」 
「それはだれでも願っていることよ」アンヌはミシェルの頬に優しくふれて、ミシェルの邪魔をしないように出ていった。 
 まもなく、ミシェルは、これまで何年にもわたって日記に集めた夢と幻想をまとめて、予言集の最初の部分を完成した。ミシェルは、最も重要な予言を選び、占星術を駆使し年を割り出し、分類し、解釈し直した。ミシェルは各章をそれぞれ世紀と呼んだ。実際の世紀を意味したわけではなく、各章を百の四行詩で構成したからである。四行詩は、あいまいで、またフランス語、プロヴァンス語、ギリシア語、ラテン語が混ざり、事実上ミシェル以外のだれにも意味は理解できない。異端審問が厳しくなってきているので、こうして本当の意味を隠さなければならなかったのだ。今では家族もあるし、ミシェルは、二度と冒とくや魔術の罪を問われたくなかった。

 念のため、四行詩の順番をバラバラにしておこうと決めたミシェルは、四行詩を書きこんだページを机の上にばらまいた。ぼくの秘密は、奥義を極めた者のみに明かされ、他の人々はその予言が現実になったときに知ることになるであろう。ページを無作為に並び変えるとミシェルは原稿を脇に押しやった。ミシェルはしばらく考え込み、指で髪をすきながらため息をついた。いまだにしばしば、トリスタンとパーシバルと時をともにした、高次元の世界での儀式を思い起こし、二人がモンテギューの陥落を生き延びることができたのかと案じていた。ミシェルの幻想は薄れてきている。古文書からも夢からも答えを得られず、ミシェルにはなす術もなかった。 
 その数週間後のことである。星がまれにみる配置となり、ミシェルは、今度こそその答えを得て救いを得られるであろうと期待していた。屋根裏部屋でミシェルは不思議な力を秘めた銅の丸椅子を取りだした。特別な数値を計算して作られたこの丸椅子をある角度に置けば、天体と交信することができるのだ。ミシェルは正しい位置を見つけて、丸椅子を置き、そのすぐ脇の床に水を入れた器を置いた。床にあぐらをかき、ミシェルは丸椅子の足とシートを水で濡らし、椅子に頭をあずけた。そして、目を閉じ、掟を破った堕天使に思いを馳せた。すると機が熟していたのであろう、瞬く間にミシェルの魂が身体を離れていった。

 

 ミシェルは、ある家の居間を浮遊していた。その部屋の高い天井には、ミシェルの時代には存在しなかったシャンデリアが下がっていた。シャンデリアについているろうそくは、ろうで作られたものではなく、小さなガラスの球が光を放っていた。その部屋には、赤い豪華なソファ、あの不思議なろうそくのついたランプがいくつか、そして金縁の巨大な鏡があった。オーケストラとコーラスが聞こえたが、おかしなことに、どこにも演奏者が見当たらない。音楽は、黒い円盤が自動的に回っている箱から聞こえるようであった。部屋の片隅には、見事な等身大の英雄の彫像が飾られていた。その大理石の彫像は、筋骨たくましい半神人が誇らしげに刀をかざし勝利を宣言する姿を巧みな技術で表現していた。 
 彫刻家は勝利に憑かれていたに違いない。この彫像は悲痛な叫びをあげている。 

 軍服を着て頭を五分刈りにしたドイツ人の男が部屋に入ってくると、ホルンがついた箱に向かって歩いていった。威勢のいい音楽が繰り返し演奏され、男はその音楽に陶酔しているようであった。そして男はだれかを呼んだ。 

「マグダ、どこにいるのだ?」返事がなかったので、男はさらに大声をあげると今度は返事があった。 

「今行くわ!」遠くから声が聞こえ、少しあって男の妻が部屋に入ってきた。 

「ワーグナーのパーシバルをかけるのはこれで六回目よ」妻は苦情を言い、すぐにレコードを止めた。 

 ミシェルは、自分がこの騎士時代を称える音楽に導かれてここへ来たことに気づいた。ここでも言葉の壁はなかった。 

「ヘルガはお腹が痛いのよ」マグダが続けた。「何か御用?」 

「ここ、ニ、三週間は非常に忙しくなる。子供たちに構っている暇はない。それに外国記者団へのスピーチの原稿を君に手伝って欲しい」男は紙ばさみを取り上げた。 

「いいわよ、ヨーゼフ。ところで、四百年前に、一九三九年にポーランドをめぐってドイツはフランスとイギリスと戦争をするだろうと予言をした人がいたことをご存じ?」 

「じゃあ、きみはクリジンガーの「太陽と魂の謎」を読んだのだね」ヨーゼフがきき、マグダはうなずいた。 

「党のメンバーの何人かが読んでその話をしていたが、わしはまだ読んでいない」マグダはどこからともなくその一九二二年に書かれた話題の本を取り出し、ページを繰ってその文を見つけた。 

「見てごらんなさい。この四行詩は、戦争の起こる日付と原因の両方を予言しているように思えるわ。その下にフランス語の原文があるから、確かめてごらんなさいな」マグダが言った。 

「フランス語だって?! 我々はフランスを攻撃しようとしているのだ! わたしがそんな言語に時間を費やすとでも思っているのかね?」しかし、ヨーゼフはマグダの勧めに従ってドイツ語版を読むことにし、二人は本をのぞき込んだ。天井からその予言に主であるミシェルが二人を見ていた。 

 ぼくの詩に違いない、ミシェルは驚いた。未来で自分が書いた詩に遭遇するなんて、それも自分ですら知らない未来を予言をした詩に。ミシェルは唖然として二人を見守った。 

「すごい詩だわ。国会演説に絶対に使うべきよ」マグダが勧めた。ヨーゼフは、声をあげてそれを読んだ。「ヨーロッパの奥深くで、貧しい両親から子供が生まれるだろう。彼の演説に大勢の人々が魅了され、彼はドイツをさらに強大な国家へと導くであろう」 

「総統のお気に召すことは間違いないわ」マグダが言った。 

「気をつけなければいけないよ。もし、クリジンガーが出どころだと知ったら、総統も国民も中世のフランス人の言うことなど耳を貸さないだろう」 

「ルネサンスよ」マグダがヨーゼフの間違いを正した。 

「そんなに細かいことを言うな。メッセージは、必ずしも真実である必要はない。簡潔に繰り返せば、たいがいそれで十分だ。わたしが事実だと決めれば、それが事実だ。それにしても、面白い意見をありがとう。プロパガンダに役に立つこともあるかもしれん*。だが今は記者会見で発表するクリスタルナイトについての私の見解を聞いてくれ」ヨーゼフが演説を始めたが、それはすぐにベルの音で妨げられた。ヨーゼフは、角笛のついた器械から角笛を取り上げ、しばらく、何かに耳を傾けていたが、やがて角笛を器械に戻した。「マグダ、家庭教師からだ。ヘルムトとヒルダを迎えに来て欲しいそうだ」 

 マグダはすぐに部屋を出て行った。ヨーゼフは大きな鏡の前に立つと、記者会見のための演説の練習を始めた。 

「我々がユダヤ人の持ち物を略奪、破壊したという、諸君が聞いた話はすべて悪意に満ちたでっちあげだ。ユダヤ人は全く被害を受けていない」ヨーゼフは、自分が満足するまで、大きな身振りをつけて、一言、一言をはっきり繰り返し、しばらく部屋の中を行ったり来たりし、再確認のために鏡の前へ戻った。 

「絶対不変の偉大な真実は、ナチスと総統は正しいということだ。いかなることがあっても正しいのだ」ヨーゼフは、いきなり振り返り、だれかに語りかけた。 

「異議があるかね?」 

 ミシェルは、他にだれかがこの演説を聞いているのかと部屋の中を見回したが、だれも見当たらなかった。 

「おまえにきいているのだ」ヨーゼフは厳しい口調で繰り返した。 

 だれに話しかけているのだ? 

「わしにおまえが見えないなどと思ったら大間違いだ」ヨーゼフはまっすぐ、ミシェルをみつめていた。

なんてこった、この男に見つかってしまったぞ!……一瞬すべてが凍りついてしまったかのようだった。 
「わしには他の者には見えないも見えるのだ」ヨーゼフは続けた。「このことは、党の誰にも言ってはいないがね、言ったら、みんなは、わしを気ちがいだと思うだろう。おまえはここで何をしているのだ? 亡霊君。わしを助けに来たのか、それとも邪魔しに来たのか?」 
 ミシェルは驚いて言葉もなかった。 
 この男は、驚くべき能力があるに違いない。亡霊を見ることができ、亡霊に動揺することもない。ヨーゼフは、たった一人の聴衆の前で演説の練習を始めた。 
「我々、国家ドイツ社会主義労働党は有権者諸君のために行動する。我々はこの退廃した政府によってゆがめられた民主主義という名の武器庫の武器を利用するために国会へ行く。我々は、擁護者や中立者としてではなく、闘うために国会へ行くのだ。どうだい? この演説をどう思うかね?」ヨーゼフは有無を言わせぬ様子でたずね、その後に沈黙が続いた。ミシェルは、注目を浴びていることをひしひしと感じていた。 
「申し訳ありませんが、わたしにはおっしゃることがわかりません」ようやくミシェルは口を開いた。 
「なんだね、無知でつまらぬ亡霊か。おまえに教えてやろう。おまえがどこから来たかは知らんがね、ここは第三帝国であるぞ。庶民から生まれた半神、我がヒットラー総統閣下が率いる帝国だ。総統閣下は、現代のキリストか、少なくともジョン伝道師ともいえよう。ヒットラー総統閣下は帝王の素質をすべて備えておられる。生まれながらにして人民の指導者であり、すぐに独裁者として君臨するであろう。わしは総統閣下に心酔している。そして、つまらん謙遜はせんよ、亡霊さんよ。わしは、この全能の帝国において、重要な役割を担っておるのだ。我こそが、天才的な啓蒙・宣伝大臣閣下、哲学およびゲルマン語学博士、ヨーゼフ・ゲッベルスであるぞ。君は、どんな重要人物と対面しているのか気づいておるのかね?」 
「おっしゃることは、なんとなくわかります」ミシェルは答えた。ミシェルはヨーゼフの力を無視することができなかった。

「わしの役目は」ヨーゼフは続けた「民衆の心に民族社会主義思想を刻み込み、無条件にその思想を認めさせ、彼らが二度と逃れられぬようにすることだ。それが総統閣下の思し召しだからだ。普段、わしはもっと言葉を選ぶが、おまえは単なる亡霊にすぎない。おまえがわしの演説を世に知らしめることはないだろうから、わしの心のうちを話すまたとない機会だ」 
「あなたが話題にしているその総統閣下に大勢の人がそんなに心酔しているのですか?」ミシェルはシャンデリアの回りを飛び回りながらきいた。 
「おまえは時を旅する亡霊だな。その通り、何百万という国民が、総統閣下を崇拝しておる。わしの妻も彼を敬愛する一人だ。妻は、総統閣下と結婚したいとまで望んでいたが、それがかなわず、総統閣下に最も近いわしと結婚したのだ」 
「そのヒスターはさぞかし素晴らしい人物に違いないですね」ミシェルは言った。 
「ヒトラーだ! まったくその通り。総統が目標としているのは、純血主義とアーリア人至上主義だ。総統は理想的なドイツのモデル家族――金髪の白人家族――を促進しているのだ。総統閣下の子供たちだ。わしの七人の子供たち、ヘルガ、ヒルデ、ハラルト、ヘルムト、ホルデ、ヘッダ、ハイデは、金髪で青い目をし、我々のプロパガンダにはぴったりだ。ごらん、これが総統閣下の写真だ」ヨーゼフは、小さな髭を生やした男の肖像画をかかげた。ミシェルはヨーゼフの物知り顔の態度にへきえきとしてきた。演説の天才ヨーゼフは、たとえミシェルを見上げながらでも、ミシェルをやりこめようとしていた。 
「純血主義とアーリア人至上主義とはどういうことでしょうか?」ミシェルはたずねた。ミシェルは、ヨーゼフにやり返したくなった。 
「おやおや、わが家の亡霊は考えることができるのかね。いいことだ! それでは教えてやろう。この世には、優秀な人種と劣悪な人種がおる。ジプシーやホモセクシャルになったり、精神病にかかったりするのは血筋や遺伝子が原因だ。わかるかね?」 
「もちろん」ミシェルは嘘をついた。 
「よろしい、したがって、生物学上の原因で、いろいろな人間が生まれる。我々は劣悪な人種は優秀な人種に比べて生殖が早いことを発見した。そこで、劣悪な人種を隔離し、不妊処理を施すか、手っ取り早くいっぺんに排斥せねばならぬ。さもなくば、この繁殖のアンバランスによって、間違いなく我々の文化は崩壊するであろう」 
 ゲッベルスは偏執狂だ、ミシェルは確信し、ヨーゼフに脅されるつもりはなかった。 
「クリスタルナイトもそれに関係しているのですか?」ミシェルはたずねた。 
「けしからん、盗み聞きしていたのか。思ったより、はしこいやつだ。クリスタルナイトはユダヤ人壊滅への第一歩だ。我々の党員が、最近、シナゴークや店などユダヤ人の所有物を破壊することで、哀れな劣悪人種をさらしものにしたのだ」 
「ということは、ユダヤ人に犠牲者はなかったということですか?」 
「我々を非難しているのかね? さっきも言ったように、わしは、必要とあれば、事実を曲げることも意に介さん。目標達成のためには臨機応変にふるまうことが大切だ。嘘も方便だよ。総統閣下とわたしは、ドイツ国民が心から願う純血アーリア人による帝国を築くことを望んでいるのだ。二つの立場からものを見ることほど民衆が嫌うことはない」 
 ヨーゼフは、蛇のごとく狡猾に事実を曲げることができるのだ。 
「民衆があなたの策略の裏にある事実を見つけ出すことを恐れてはいないのですか?」ミシェルはたずねた。ミシェルは、自分が直面している悪魔の恐ろしさに気づきだした。 
「まったくないね、しかし、大事をとって、党は、優れた作家、哲学者や科学者の書いた、ドイツ精神に反し道徳の退廃を招く中傷的な書物二万冊を焼き払った。我々が目指すのは、我々の同胞とその子孫に恩恵を与えることだ。ついに我々は、ホモセクシャル、ジプシー、反社会主義者、精神異常者から解放されるのだ。我々はすでに三十五万から四十五万人を洗浄した」ヨーゼフはとどまるところを知らなかった。 
「そして、おびただしい数のユダヤ人という問題を解決するために、特別強制収容所を建設しておるが、そこでは、我々の医者がこの劣悪人種を使って人体実験を行い、アーリア人種のために役立てるのだ」 
 この男と話してもしょうがいない、ミシェルは嫌気がさしてきた。「あなたの物差しで言えば、あなたも洗浄されるべきだ。あなたは気が狂っている」ミシェルはついに我慢できなくなって爆発した。 
「それがおまえの本心か、残念だが、わしとは意見が合わんようだ。しかし、真実がすべて、党のためになるとは限らんよ」ミシェルの言葉にもひるまず、ヨーゼフは続けた。 
「偶然にも真実と一致すればそれに越したことはないが、そうでなければ、事実は調整する必要がある」 
 もはやミシェルは憔悴しきっていた。このドイツの狂信者はミシェルを脱力させるばかりであった。 
「新種の石鹸を売り込む看板があるとする、お前はどう思うかね?」ヨーゼフの饒舌がまた始まった。 
「競合商品の質が高いことを言う必要があるかね? そんな意見はおまえだって耳もかさんだろう。わしの政治キャンペーンも同じことだ」 
 ミシェルは、ここから逃げ出す方法を探していた。ミシェルのエネルギーはもはや限界であり、早くここから逃げ出さなければならない。ヨーゼフの言うことをもう一秒たりとも聞いていることはできない。

「もし、事実が我が意にそぐわなければ、事実を変えねばならん」ヨーゼフは繰り返した。そして、スイッチをひとつ動かしただけで、室内の灯りをすべて消した。突然、昼から夜へと変わったのに驚いたミシェルは落下し始め、シャンデリアをつかもうとしたがとどかず、床に激突した。

 なんてこった、ぼくは悪魔に出会ってしまった、ミシェルは、茫然としながらも立ち上がろうとした。 
「おまえのような取るに足らん亡霊にはこれが一番だ」ヨーゼフはせせら笑い、再び、一斉に明かりを灯した。強烈な電気ショックを受けたミシェルの身体はその場に崩れ落ちた。刀を振り上げた英雄の銅像の脇に横たわり、ミシェルは必死にその場を逃れる方法を探した。 
「我々の理念に従いたまえ、さもなければおまえを滅ぼさねばならん」ヨーゼフは非情であった。 
「待ってくれ、わたしは、第三帝国の未来を予言することができるんだ」ミシェルは時間をかせごうとして言った。 
「我らの美しき帝国よ、白く、白くそして美しい」ヨーゼフは、我を忘れて歌い、別なワーグナーのレコードをかけた。 
「トリスタンとイゾルデだよ」ヨーゼフは言うと、再び明かりを消した。このショックでミシェルは半身が麻痺して、意識が遠くなっていくのを感じた。再び電話が鳴り、ミシェルはその音に少し立ち直った。ヨーゼフは音楽を止めると角笛を取り上げた。 
「いや、なんでもないよ。明かりで遊んでいるだけだ」ヨーゼフは答えると電話を切った。 
「さて、何を話していのだったかね? そうだ、きみは第三帝国の未来を予言したいと言ったのだった。無論そんなことでごまかされんぞ。わしにもきみの未来がバラ色でないことくらい予言できる」ヨーゼフは、再び、明かりを灯した。その煌々とした明かりにミシェルは、もはやものを考えることもできず、身体はがたがたと震えだし、いまにも消え入りそうであった。もう一度、攻撃されたらひとたまりもあるまい。その時、ドアが開いてマグダが入ってきた。 
「子供たちを連れ帰って寝かしつけたわ。わたしがいない間にお行儀よくしていたかしら?」 
「もちろんだとも、演説の練習をしていたよ」ヨーゼフは嘘をついた。マグダはヨーゼフをじっと見つめた。 
「もうイレーネに会うのはやめてちょうだい。総統のイメージに傷がつくわ」 
「わたしとイレーネの間には何もないよ。イレーネはいい女優だから、ひいきにしているだけだ」 
「そんな言い訳は通用しないわ。ヨーゼフ、理想の家庭を築きたいのでしょう? それならば、色欲は抑えなさい。さもなくば総統に言いつけるわよ」 
 ヨーゼフはふてくされた様子で椅子に腰を下ろすと、その視線を妻の向こうに向けた。 
「わたしはもう寝るけど、明かりで遊ぶのはやめて」マグダはユーゼフをたしなめると部屋を出ていった。ヨーゼフは、一秒たりとも無駄にせず、ささやかなゲームに戻ることを望んでいたが、部屋には等身大の銅像以外には何も見当たらない、亡霊は消えてしまった。ギリギリところでミシェルの魂は、その主を待ちわびていた肉体へと戻ったのだ。 
「危ないところだった」ミシェルはうめいた。いまだにヨーゼフのイメージがまぶたに焼き付いていた。ミシェルは、我に返って丸椅子を脇に寄せた。そして、机の前に座ると、あの危険な経験を書き留めた。自らの光で闇を照らすことができて初めて悪魔に打ち勝つことができる、ミシェルはペンをインクに浸しながら、思い返していた。

 

 アンヌは四人目の子供を身ごもっていた。数か月で赤ん坊が生まれるであろう。 
「女の子だよ」二冊目の暦を執筆しながら、ミシェルは予言した。 
「知りたくないわ!」アンヌは耳をおおって叫んだ。 
「そんな大声をだすなよ。赤ん坊が怯えるよ」ミシェルが注意したが、アンヌはきかなかった。思いがけずノックの音が聞こえ、それに応えてミシェルは玄関へ出たが、意気消沈した様子で居間に戻ってきた。 
「子供たちを二階に連れていきなさい。降りてきてはいけない」ミシェルはアンヌに命じた。 
「どうしたの?」アンヌは憮然として答えた。「どうして、わたしが馬車馬のように扱われなきゃいけないの?」 
「今、議論するつもりはない。後で説明するから」アンヌが子供たちと二階に姿を消すと、ミシェルは玄関に戻り、客人を招き入れた。それは軍隊からきた夫婦であった。妻は、二つの頭と四本の手を持つ、見るも恐ろしい新生児を抱いていた。千里眼の医師に会うためにツーロンから休むこともなく旅してきたのだ。夫婦が最後の望みをかけて見つめる中、ミシェルは、この怪物のような子を見て耳の後ろをかいた。 
 わたしにできることはない、ミシェルは考えたが、夫婦をただ送り返すのが気の毒で、形ばかりにこのシャム双子を診察した。 
「わたしのことをどこできいたのですか?」シャム双子の背中を診察しながら、ミシェルはきいた。 
「ツーロンの役所で勧められたのです」若い父親が答えた。 
「役所の人は先生ならなんとかしてくれるかもしれないと言っていました」 
 ミシェルは、夫婦に飲み物をふるまい、少しの間、生存の可能性がほとんどないその子を助けることができないものかと一心に考えていた。 
「お気の毒ですが、お子さんは長くは生きられないでしょう」ミシェルは慎重に言葉を選んで事実を告げたが、それを聞いた母親は泣き出し、夫婦は悲嘆にくれて、夫が妻を抱きかかえるようにして去って行っていた。 
 アンヌが子どもを連れて階下へと降りてきて、何が起こったのかと訊ねた。 
「ぼくはただ、君たちに悪夢をもたらすような身の毛もよだつものを見せたくなかったのだ」ミシェルは説明した。子供たちが寝た後に、妊娠末期のアンヌに少しだけその秘密を明かしたが、それでもアンヌは恐れおののいた。

 

 それから数カ月後、ミシェルとアンヌの第四子が誕生した――幸いその子は五体満足であり、ミシェルの予言通り女の子だったので、ポーリーンと名付けられた。アンヌはすぐにまた身ごもった。家事に忙しく、子供の泣き声と嬌声は書斎の静かな環境を乱したがミシェルは構わなかった。解決は簡単だった。階段に仕切りの扉をつけたので、ミシェルは静かに仕事に打ち込むことができた。翌年に起こる出来事を予言し、いろいろな人の星占いをするだけでなく、ミシェルは、二十世紀についてもっと知ろうと試みを重ねていた。しかし、もう丸椅子のトリックはきかなかった。ミシェルは、マルセーユの魔術用具を売る店で新しい道具を見つけた。家へ帰るとすぐに、ミシェルはその謎めいた箱を持って書斎へ上がった。ミシェルは、箱から壊れやすいボールを慎重に取り出し床に置いた。そして、階下に下り庭に出て、天水桶から水をくんだ。 
「喉が渇いているのね」庭で洗濯物を干していたアンヌが言った。 
「喉がからからだ」アンヌと言い争いをしたくなかったので、ミシェルはそう答えると水が一杯に入ったバケツを持って書斎へ戻った。今日こそ、世界大戦のきっかけとなる偉大なドイツの指導者、ヒスターの元を訪れることができるだろう、ミシェルには確信があった。ミシェルは、水をボールに入れ、そこへ幻覚を起こす作用を持つ香油を加えた。ミシェルはその脇に座りしばらく水の表面を見つめていた。だんだんとミシェルの気持ちは落ち着いた。蒸発した香油の匂いが空気中に漂い、ゆっくりとしかし確実にミシェルを酔わせ、ミシェルは深いこん睡状態に入っていった。突然、だれかが後ろからミシェルに抱きつき、ミシェルは、身を立て直すひまもなく前へのめった。 
「パパ、見せたいものがあるんだ」ミシェルの首に抱きついてセザールが叫んだ。 
「ばかやろう!」ミシェルはののしり、セザールは恐れをなして飛びのいた。セザールは父が怒ったところを見たことがなかった。父は、いつもはとっても冷静なのに、今、父の目は炎が燃え上がり稲妻が走っている。ミシェルは、我が子がそこにしょんぼり立っているのを見ると、かんしゃくを起こしたことを後悔した。 
「かんしゃくを起してごめんよ。タイミングが悪かったのだ」ミシェルは、息子に手を差し出した。セザールは一瞬ためらったが、恐る恐るミシェルの手を握った。 
「セザール、だれの心の内にも悪魔が棲んでいる。お前のお父さんの心の内にもな。悪魔の力をコントロールする方法を学ぶのはいいことだ。たった今、わたしは失敗したがね。幸い、わたしたちには良心がある」 
 二人ともかなり動揺していて、落ち着くまでには数分かかった。 
「ミシェル、下りていらっしゃいな。あなた驚くわよ」突然アンヌが階下から叫んだ。 
「今度は何だい!」ミシェルは不機嫌に音をたてて階段を居間へ下りていったが、そこにはだれもいなかった。 
「誕生日おめでとう」アンヌと子供たちがはやしたてながら台所からあらわれた。 
「ドアの脇にプレゼントがあるの」ミシェルは五十歳になったのだ。ミシェルは頭痛がしてきたが、不承不承玄関へ行ってみた。しかしプレゼントは見つからず、肩をすくめて居間へ戻った。 
「ドアの外だよ!」みんなが叫んだ。ミシェルはぶつぶついいながら玄関へ戻りドアを開けた。 
「パパパーン」ホルンの音がなった。市民の一群がミシェルの前に立っていた。 
「ノストラダムス先生」レミレ市長が声をかけた。「先生の半世紀を記念する五十歳のお誕生日をお祝いすることができ、我々は光栄のいたりです」 
 本当のところは、ミシェルは、市長の目の前でピシャリと扉を締めたかったのだが、興奮する市民と家族の手前それもできず、がまんするしかなかった。 
「先生はサロン・ド・プロヴァンスにとって」市長は続けた。「特別でたいへん価値ある存在です、そこで市議会は先生の銅像を建てることを決めました。ぜひ市庁広場にご足労いただき、先生のその手でご自身の銅像の除幕をお願いしたいのです」 
 ミシェルは逃れようもなく、すぐさま引っ張り出され、お祭り気分の群衆にかつがれ、市庁広場へ連れていかれた。そこには幕のかかった銅像が立っていた。 
「市民のみなさん」銅像の前に着くと市長は叫んだ。「本日、我々の誇り、ノストラダムス先生は五十歳になられました。そこで市議会は、先生に敬意を表し、名誉市民の地位を授けるとともに、その銅像を建立いたしました」 
 市長はミシェルに銅像にかかった布を引いて取り除くよう頼んだ。ミシェルが布を引くと、ミシェルに生き写しの銅像が現れた。オーケストラがファンファーレを奏で、市議会議員がお祝いを言おうとミシェルのまわりに我先に集まった。賞賛の嵐が収まると、怒り心頭に達していたミシェルは群衆の隙をついて家へ逃げ帰った。市長はアンヌと言葉を交わし、市議会議員は無料でふるまわれた軽食を楽しんでいた。その後、成り行きに満足したアンヌが、子供たちに広場に残ってボール遊びをすることを許し、家へ帰ると、居間には、ミシェルが頑な様子でアンヌの帰りを待っていた。 
「こんなふうに驚かされるのは金輪際ごめんだ」ミシェルはきつい調子で言った。「君がセザールにぼくを呼びに行かせた時、ぼくは神経を集中させていたのだ。心臓が止まるところだった」 
 産着にくるまれたポーリーンが泣き出した。 
「大丈夫よ、ポーリーン」アンヌがなだめた。「わたしたちは、いつも変わり者のパパに合わせなきゃならないの。パパは、地球は自分を中心に回っていると思っているんだから」 
 この言葉に大いに憤慨したミシェルは、強情な妻に背を向け、ぶつぶつとののしりながら階段を上って行った。 
「あなたは、いつだっていろいろな悲惨な出来事に没頭していたいのだから」アンヌが追い打ちをかけた。「私たちはあなたとは違うわ。時には楽しみたいわ」 
 ミシェルは自分が型破りな妻を持っていることを自覚していたが、これは行き過ぎだった。ミシェルは、これを最後に屋根裏部屋のドアに鍵をかけた。ミシェルは、ふくれ面で一日中屋根裏部屋にこもっていたが、夕方には機嫌も直り、寝室へ下りてきてアンヌに謝った。 
「君の言う通りだ。わたしは深刻に考え過ぎるから、君と子供たちは苦労しているに違いない。だが自分のやり方を変えることはできないんだ」 
「今に始まったことじゃないわ。ここに来て服を脱いで」アンヌが言った。ミシェルはベッドにもぐりこみ、二人は愛情をこめて抱き合った。 
「あなたが自分の使命をまっとうしなきゃいけないことは分かっているわ」アンヌは言葉を続けた。「わたしも最後までそれに協力するつもりだけど、ちゃんと生活もしたいのよ」 
 アンヌの理解にミシェルの心もなごみ、二人は愛を交わした。 
「君に出会ってほんとうによかったよ」満ち足りてミシェルは囁いた。 
 しかし、その翌朝、目覚めたミシェルは悪寒がした。身体中が燃えるように熱かった。昨日の出来事にミシェルの身体が音をあげたのだ。ミシェルのうめき声に目覚めたアンヌは、ミシェルがひどく具合が悪いことに気づいた。 
「お医者さんを呼びましょうか?」心配したアンヌがきいた。 
「ぼくは医者だよ。ぼくに必要なのは休息と愛だよ」彼は付け加えた。ミシェルは、数日間床を離れることができなかった。アンヌは身重だったが、献身的に看病した。 
 気の休まる暇はひと時もないわ、ミシェルのためにゆで卵をむきながらアンヌはため息をついた。ミシェルをもっと好きにさせてあげなきゃいけなのね。

 

 イースターに次いで盛大な祝日であるクリスマスのことであった。いまや子供五人の大所帯となったノストラダムス一家は、イエス・キリストの生誕を祝うサンローラン教会の礼拝に参列した。教会では、その年初めて、キリスト生誕のシーンを実寸大の像で再現し、だれもがそれを見るのを楽しみにしていた。子供たちは像に向かって走り出し、ポールとセザールは、キリストが眠る飼い葉桶のすぐ脇までいきついた。 
「ママ、アンドレはキリスト様にそっくりだよ」ポールは生まれたばかりの弟がキリストに似ていることを指摘した。 
「アンドレの方がかわいいわ」群衆の背後からアンヌが答えた。回りの人々は怪しむような目でアンヌを見た。 
「なんて不謹慎な」群衆の一人がアンヌを責めたが、アンヌは気にもかけず、ミシェルとともにクリスマスの人形の見物を続けた。少し先のマリアとヨセフそして羊飼いの人形は、人だかりも少なく、さらにその先の東方の三人の王はほとんど注目されていなかった。やがて、参列者は木製のベンチに着席を求められた。ミシェルは子供たちに、キリスト生誕シーンを再現する飾り付けを始めたアッシジの聖フランシスコの話を手短にした。聖フランシスコは、文盲の人々にもクリスマスの謂れを伝えようとしたのである。しかし、子供たちは、魔法のように礼拝堂にきらめく何千もの灯りに心を奪われ、ミシェルの期待に反してその話に感銘を受けた様子はなかった。クリスマス劇の時がやってきた。アルルの歳老いた大司教は、劇を始めようとランタンを振っている。 
「紳士、淑女のみなさん、クリスマスはイエス・キリストが我々にもたらした新しい生命の誓いです。そして今ここに、その美しいイエス・キリストの生誕シーンを再現します。どうぞ、お楽しみください」 
 役者たちが舞台に現れ、聴衆は熱心に身を乗り出した。いや、聴衆全員ではない、ミシェルはこのクリスマスの催しに少し懐疑的であった。プロテスタントが現れるまでは、こんなに美しいクリスマスの催しはなかったし、大司教がこんなに愛想がよく、説教を短く切り上げることもなかった。明らかに反改革派は民衆の心を取り戻そうとしているのだ。しかし、この教区の人々から非難の声があがることはないであろう。ミシェルの純真な子供たちも洗脳されつつあった。ミシェルは、反感を持って、このわざとらしい劇を見ていたが、聴衆の興奮と歓喜の様子に少し譲歩した。最後の場面は、飼い葉桶へと向かう羊飼いと三人の王の行進であった。教会の純粋とは言えない動機にもかかわらず、それは楽しい夕べであった。ノストラダムス一家は満足して家に帰った。その夜、アンヌは六人目の子供を身ごもった。




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第1章